“奉仕”とは。

 

宗教活動。

就活ならぬ、宗活。


憲法にあるように、宗教の自由、私個人も「どうぞお入りなりたいならご自由に。」って感じで、否定はしない。

友達が宗教の信者であろうが、無理に勧誘してきたりしなければ、別に気にしない。

 

ただ否定はしないが興味もないのです。

 

週一で我が家を訪問してくるエ〇バの方が居るんですよ。

いつもならインターホン越しにハッキリお断りするんです。

前述にも述べたように、興味がないし、冊子を渡されても読まないから。

それならば、必要としてる人の所へ行かれて下さいな、と思うので。

 

最初は週一で訪ねてきて(毎回違う人)、毎回お断りしてたんですよ。

あれってなんなのかな。

いつも思うんだけど、あの家は断られるとか、そういうのって信者間で情報交換とかしないのかな。

 

すみません、話逸れました。

毎週毎週断り続けてたらついにパッタリと来なくなったので、「お。もう来ないかな。」って思ってたら、今日キタ━(゚∀゚)━!

しかもタイミング悪く、オール電化の蓄電池の点検中に来たもんだから、インターホンなった時に業者さんだと思ってカメラ確認せずに出た━(゚∀゚)━!

 

 

以前は宗教の冊子を持ち出してきて、“日本について”とか、“子育てについて”の質問をしてきて話進めてたのが、冊子からタブレットに変わってる━(゚∀゚)━!

 

タブレットだと印刷費削減できるしね。冊子みたいに受け取る受け取らない関係ないしね。。とか、色んな妄想を膨らませながら、「すみません、今、来客中でバタバタしてるんで...。」と、お断り。

 

娘が足下でわちゃわちゃしてて流れで「また改めて伺いますね。」と言われてしまい、次はきちんと断ろうと固く心に誓った。

 

ひとつ違和感を覚えた事があって、「奉仕活動をしている。」というセリフ。

奉仕活動...

 

そもそも奉仕とはなんぞや。

 

Wikipediaによると、

根拠となる土台には宗教的な信念や、宗教的な意味合いの神奉仕のかたちとして、神ではないもののその代わりとしての、困難な場面におかれている隣人に手を差し伸べ、できる限りの援助を与えるというケースがある

 

との事。

 

神に仕える意味での奉仕というのもあるのだろうが、こうやって訪問しての奉仕活動での奉仕という意味合いについては、恐らく上記の意味合いだと思う。

 

だとすれば、どうしよう。

 

 

 

 

 

 私、手を差し伸べられるほど困ってない。

 

 

彼女らの奉仕とは、一体なんぞや。

 

秋、疑問は深まるばかりである。。